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東北地方太平洋沖地震について
この度の東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しげますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
私が作曲し、演奏している「願い」を公開しています。ほんの少しでも皆さんの心の不安が和らぎますように。青い空を、穏やかな気持ちで見上げれる日が一日も早く訪れますように。たくさんの願いを込めて演奏しています。
関澤真由美

関澤真由美作曲 ソロマリンバのための 「願い」



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離れてみてわかること − 大海と、故郷の空 −
コラム レザン倶楽部53 「カフェ・レザン」に掲載

私は中学を卒業したと同時に故郷である長野を離れ、音楽大学付属高校に入学の為、上京した。故郷を離れたことで、初めて親への感謝の気持ちを知った。後に故郷に戻ってきのは9年後。まだ大学院を修了したての私は見えない将来に不安を抱き、このまま井の中の蛙になってしまうのではないかと悩んだ。周りから「地方に篭っていてはもったいない」と言われ、その言葉に揺らぐ自分がいた。海外で自分を試してみたいが、勇気も無く、言葉にも自信もなく、一歩踏み出せない自分がいた。しかしその劣等感を持ち続けている自分自信に嫌気が差し、悩んでないで行動してから考えればいいのだ、と自分に言い聞かせて思い切ってアメリカの大学を受験した。そもそも私の挑戦癖はここから始まったのかも知れない。そして1年後、ニューヨークのマンハッタン音楽院へ留学し、私の世界は一転した。最初の1年は東京とは比べ物にならない個性の強い大都会に飲まれそうになりながら、何とか自分を主張するのに一生懸命だった。ニューヨークは好きだったが、日本も恋しかった。日本を離れてみて、日本人である自分を初めて意識し、情緒だとか、消滅の美などの日本的な美しさが初めて分かったような気がした。

アメリカでの言葉の壁もこえ、ようやく自然に生活できるようになった頃、今度はヨーロッパの様々な音楽祭やコンクールに参加し、各国の音楽や文化にふれ、アメリカとは違うその重みに驚愕した。その後、アメリカ、ヨーロッパ、日本を行き来するうちに、また、いろいろな国の作曲家と交流し、彼等の作品を演奏していくうちに、ヨーロッパ諸国の音楽の違い、アメリカ独特の音楽、そして日本の音楽それぞれの良さを感じることができるようになってきた。もちろんまだまだわからないこともたくさんあるが、そのものの価値や物事の特長は、そこから離れてみて初めて際立ってくるのだと知った。

今、再び故郷の地である長野に身を置いているが、ここで感じるのは故郷の音だけではない。海外で体験した様々なカラフルな文化や音たちもちゃんと感じる。今も周りから、「地方にいると、刺激が無かったりして、音楽活動としては不便なのでは?」と聞かれることが多いが、私の心はもう揺るがない。自信を持って「ベストな環境です」と言うことができる。移動はどこにいても必要だし、フットワークは軽いので、この間なんかは長野とニューヨークを短期間で2往復もしてしまった。音楽に集中して創作活動をするとき、私の場合、都会の騒音やストレスに紛れていてはその活動も難しい。都会の刺激は十分経験したし、これからの演奏旅行でも感じることはできる。自然の音が溢れるこの地、生まれ育ったこの土地だからこそ、私は集中できる。この地にいながら、今まで経験したヨーロッパやアメリカの風を感じ、音楽に表現することができるのだ。それに昔と変わらず応援してくれる家族、先生方、そして地元の皆さんがいる。

実は昨年、ようやくマリンバソロアルバム「My Favorite Things」をリリースできたのであるが、全ての作業は長野で行った。選曲、アレンジ、録音など、地球上のいろいろな土地に想いを馳せながら作った。自分では特に意識しなかったが、結果的にマンハッタンの香りがするアルバム、ニューヨークがつまった一枚、と言って頂けるようになったのはとても嬉しかったし、今までに無く集中できる環境で、もの作りができた結果だからじゃないかな、とちょっとだけ自負している。

昔、「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉に脅かされ、過ごした故郷での1年間があったが、その言葉には続きがあった。「井の中の蛙、大海を知らず、されど空の深さを知る」 私は今、故郷の空の深さを感じることができる。掛け替えの無い深い深い澄み切った空だ。そしてこの空はちゃんと世界に繋がっている。私はこれからも、大海の雄大さと同時に、故郷の空の深さを音楽に映して行きたい。



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演奏家の舞台裏 
コラム (レザン倶楽部52 「カフェ・レザン」に掲載) 2005年12月
この7月に私はレザンホールでCDデビュー記念のマリンバリサイタルをさせて頂きました。故郷でのコンサートは格別の思いがある中、沢山の皆様にお越し頂き、暖かい拍手に包まれて心から感動しました。本当に有難うございました。

 さて、人前で演奏する時はもちろんプロになっても緊張します。数え切れないほど舞台を踏んでいてもそうです。“緊張”にはあまりよくないイメージがあるかもしれませんが、演奏にあたっては実は絶対条件として必要です。なぜなら緊張がいつもとは違う場所へ自分を連れて行ってくれるからです。私の場合、緊張しない時は良い演奏や深い音楽には結びつかない事が多いので、本番前に緊張するように自分でコントロールするようにしています。緊張には2種類あって、ワクワク、ドキドキのエキサイトするような良い緊張と、ハラハラ、イライラする神経質な悪い緊張に分けられるのですが、もちろん前者の良い緊張をしなければなりません。悪い緊張を避ける為には、事前にその要素となるものを徹底的に除くようにしています。まずは納得のいくまで練習をし、不安な要素は取り除く。そしてお茶や珈琲、チョコレートなどのカフェインを含むものは2、3日前から我慢して、本番前にバナナを食べる。カフェインは興奮剤なので、自分で緊張をコントロールする為には、取り過ぎないようにしています。そして決め手はこのバナナですが、無駄に興奮する要素を極力押さえ且つエネルギーを与えてくれるので欠かせません。良い緊張ができれば、それは深い集中力に繋がります。これらは全て留学先だったアメリカで教わったことで、バナナの効果は科学的にも証明されているのだそうです。ですから私はどんな時でもバナナを持参。もちろん日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも演奏前に必ず買って食べています。健康にもいいし、安いし、すぐ食べることができるし、優れものなのです。そんな私の周りの音楽家達も私の影響からか、すっかりバナナの虜。皆さんがもし、コンサートで「今日の関澤は充実した良い演奏をしているな」と感じたら、それは十分な練習も然ることながら、舞台裏で食べたバナナが効いているからかもしれませんね。

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カーネギーホールデビュー 200411

カーネギーホールと言えば、私達音楽家にとって一度は立ってみたい舞台のひとつです。ニューヨークのミッドタウン、7番街と57ストリートの角、雑沓の中に突然立っているように見えます。一口にカーネギーホールと言っても、このホールは3つのホールによって成り立っています。ひとつは一番大きなホールでアイザック・スターン・オーディトリウムといわれるホール。これが一番メジャーな大ホールですね。次にワイルリサイタルホール。こちらは主にソロリサイタル、室内楽のコンサートに使用されています。そしてもう一つが地下にあるザンケルホール。こちらも室内楽などに利用されています。私は残念ながら、ザンケルホールにはまだ入ったことがありません。

ニューヨークで有名なホールといえば、このカーネギーホールを初めとして、リンカーンセンターの中にあるエヴリ・フィッシャー・ホール、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、マーキンリサイタルホールなどがあります。学生時代、私は何度もこれらのホールに通い素晴らしい演奏を目の当たりにしてきました。 チケット代も日本のように値がはらなかったので、躊躇することもなく、コンサートに行くことは日常になっていました。また、学生であることを特権として、ベルリンフィルやウィーンフィルの練習をフリーで見学させてもらったりと、先生から立見席をもらってオペラを見たりと、とてもめぐまれていました。ですから、カーネギーホールのような有名なホールでも、舞台裏は意外と何度も出入りしていたのです。もちろんどこのホールでもセキュリティーはしっかりしていましたが。しかしステージに上ったことはありませんでした。

私が念願のカーネギーホールの舞台に立てたのは実は今年ではなく、もっと前。今からかれこれ6年前くらいです。しかもマリンバ奏者としてでは無く、ティンパニ奏者としてでした。その頃私は、ティンパニの魅力に取り付かれ、学校のオーケストラのティンパニ首席奏者となって、ショスタコーヴィッチの5番、その後のコンサートでブラームスの3番、4番を弾いたところ、運良くこれらが好評で、それがきっかけとなって、外からのティンパニの仕事がいろいろ舞い込んできていました。その中の一つがカーネギー・アイザック・スターンホールでのオラトリオのティンパニパートの仕事でした。あの時は始めてステージ側から客席を見て感動もしましたが、ものすごく緊張もしました。カーネギーホールの内装はとても豪華で美しくて、ステージから見上げると照明と客席のエンジの色調に見とれてしまうほどです。次に来る時はマリンバ奏者として立ちたいなぁなどと、ずうずうしくも思ったものです。今年、念願のマリンバソリストとして立ったのは、ワイルリサイタルホールの方でした。こちらは、あまり響きのあるホールではないのですが、落ち着いていてやはりとても美しいホールです。こちらのホールの舞台裏はとても入り組んでいて、その日何度も迷子になりました。その度に人に聞いてはステージにたどり着くなんてことも・・・カーネギーで働く人たちもとても親切で、帰り際、「またカーネギーで演奏される日を楽しみにしていますよ。」と声を掛けて下さり、とても暖かい気持ちになりました。

今年も終わりに近づいていますが、今年の2月にカーネギーホールで演奏していたなんてなんだか遠い昔のようです。場所がどこであれ、演奏に関してはいつも全力投球を心掛けていますが、特にカーネギーホールは、今まで沢山の名演奏家たちによる演奏会が繰り広げられた歴史を肌に感じることができ、いつもにも増して身が引き締まるような想いで演奏したのをよく覚えています。

再びあの舞台に立てることを願って。

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